電報に歴史あり!どのように電報は浸透していったの?

土間

電報は、冠婚葬祭欠席時のマナーとして浸透しています。
では、そんな電報はどのように生まれ、どのように浸透していったのでしょうか。
この記事では、電報の歴史についてご紹介していきます。

電報の始まりは1870年

モールス信号といった電気通信を用いてメッセージを届けることができる電報は、いわばメールの先駆けといえるでしょう。
そんな電報は、1870年頃にサービスが開始されました。
当時の日本では、家庭用電話はまだ登場していません。
また、手紙やはがきでも届くまでに数日かかってしまうため、緊急時の連絡手段に乏しいという現実がありました。
そこで登場した電報は、離れているところでメッセージを入力し、現地で印刷して届けるもののため、即日でもメッセージを届けることが可能という画期的な方法だったのです。
最初は、東京から横浜までという限られた区間でテスト的に開始され、その成功を見て全国に広まっていきます。
文字数や使える文字の種類などに限りはあったものの、多くの人に利用されることになりました。

1920年代頃からより発達

1920年頃、電報は震災の影響もあり、被災した人が無事を伝えるために活用したといいます。
電報が、より発達したのもこの頃です。
電気信号を伝える手段が発達し、モールス信号のように単純なものだけでなく、写真のようなデータも送れるようになりました。
写真電報が作られ、書いた図や表もそのまま送れる模写電報も登場するなど、電報の利用者はこの時ピークを迎えます。
その後は、家庭用電話が普及され始めて徐々に需要が落ち込んでいきますが、現在でも大学合格のような節目や、冠婚葬祭の欠席時に使われています。
民間会社が参入し台紙やプレゼントも選べるようになっているため、現在は特に特別感のあるギフトとしても多くの人に利用されているのです。